生成AIが発達している。

AIが知能を自己発展させていき、人間の知能を凌駕する「シンギュラリティ・ポイント」が2030年代に到来するなんて予測もされている。私のような凡人にとっては、とっくに「シンギュラリティ・ポイント」なんて過ぎているが(笑)

好むと好まざるとに関わらず、AIに触れる機会はどんどん増えいる。これはもう時代の流れである。

デバイスにAIが組み込まれ、触れる機会ができて、「便利だね」って認識され、やがてAI無しの生活は成立しなくなるのだろう。何なら既にそうなりつつある。

便利であるし、相談相手にもなる、「超物知りの自分専用のコンシェルジュ」のような感じであるが、自信満々に不正確なことを言うのが「玉にキズ」であるけれど。

AIはパートナー

AIは便利で私も活用している。否定するものではなく、私たちの暮らしを豊かにしてくれるものである。自動車や飛行機、インターネットに次ぐ、人間の機能拡張である。

考えてみれば、こんな文章もAIに生成させたらもっと素晴らしい内容のものが、あっという間に生成されるだろう。絵だって写真だって音楽だって映像だってそうである。

CMはすでにAI生成したもの取って代わられつつある。制作コストは安く、出演者は不祥事を起こさない。コスト破壊とリスク低減ができ、「広告する」という目的においてはデメリットが無いのである。

そのうち、「初音ミク」のようにAI生成したキャラクターに「ブランド価値」が生じ、そのキャラクターを出演させるための「コスト」が発生するような状況が発生しそうだが。

こんな風に考察すると、「では、これから人間は何のために文章を書き、絵を描き、音楽を作り、映像作品を作るのか」と問いたくなる。AIが作ったもので良いのではないか?

今後、フィジカルAIが発達して、絵を描き、楽器を奏でるという未来は確実に来るだろう。人間の物理的制約(手が2本、足が2本など)を超えた芸術表現がフィジカルAIによって達成され、これまでありえなかった表現がどんどん実現されていく。

だとしても、私は自分の頭で考察し、タイピングしてあるいは万年筆を走らせて文章を書きたい。手を動かし、文章を書きたいのである。カメラのファインダーを覗いて、構図を考え、自分でシャッターを押したいのである。手を動かしてギターを奏で、自分の声で歌いたいのである。

キーボードをタイピングするときの押し感、音。ペンが紙を走るときの音、感覚。インクや墨の匂い。カメラレンズがピントを合わせる音、シャッターの押し感、音。ギター弦を押さえた時の痛み、音がボディを鳴らす振動。

何というか、AIでは感覚が無いのである。そして、人間の「知覚」は決してAIには代替できない。知覚は人間の中で完結することだから。

ちまちまと道具を使うことが好きなんだろうね。当たり前だったことが「価値」になる。変な感覚である。

だけれども、自分で車を運転してドライブするなんてことは、サーキットとか許可された場所でしかできないことになってしまうかもしれないな。

人間の意識・倫理観が問われてくる

AIが発達の一途をたどる一方で、人間はどんどん怠惰になり、消費するだけの存在に成り下がってしまうかも知れない。否、むしろ、それこそが人間の目指している所なのかも知れない。

労働する必要がなくなり、消費するだけの存在になれば、可処分時間は大きく増え、人生はより豊かなものになるだろう。

我々が行っている「仕事」はAIに代行され、人間はあらゆるサービスを受ける側となる。そうなると、AIによるサービスに依存する存在に成り下がる。まるで「AIに飼われているペット」ではないかと思ったりもするけれど。

お手軽に欲求を満たすことのできる毎日。それはそれで悪くないだろう。

眠りたい時に寝て、お腹がすいたら食べて、性的欲求は手軽に満たせる。(おそらく、AI+VRと性器を刺激する道具の発展による「誰も犠牲にしない、手軽な性のはけ口」が与えらえるのだろう)

そんな訳で、いわゆる「人間の3大欲求」は、AIが満たしてくれる可能性がある。

倫理面の問題があるが、「種と卵」さえ人間が供給すれば、あとの妊娠・出産・子育てというフェーズはAIによるコントロールで外部代替することが可能な未来が来るかも知れない。そうなると、人間の都合で人間が「生産」される時が来る可能性だってある。

その頃には「生身の人間によるサービス」が贅沢品になっていて、それを享受できることがステータスになっていたりするんだろうな。

そもそもAIを作った目的って

なんだか暗い気持ちになってきたが、AIを人間が作った目的って、「好きなことをして暮らしたい」って欲求を叶えるためなのではないだろうか?

AIを使って業務を効率化するとか、フィジカルAIに作業を休みなくさせる事って、突き詰めれば「人間を労働から解放すること」になる。

で、可処分時間の増えた人間は、きっと暇になって、思考する時間、創作する時間、体験する時間などに時間を使うようになる。つまり、社会的欲求、承認欲求、自己実現に向けて努力するようになるのかな?

それとも、猿のように欲望のまま生きる動物に成り下がるのかな?

人間はいつか死ぬ。「不老不死」というのは人間がアナログ的・物理的存在である以上、たぶん不可能だ。だから、人間には時間的制約がつきまとう。私は、それは人間の「救い」でもあると考える。

「終わり」があるから、それまでにやりたいことはやらなくちゃならない。だから、今を頑張れるという側面があると考えている。

AI時代の行き付く先

AI時代の行き付く先は「高度原始時代」のようなものではないかと想像している。

労働から解放された人間は、一周回って「五感で感じるよろこび」のようなものに回帰していくのではないか。

言うなれば「原始時代」に回帰するようなイメージである。ただし、石器時代のような原始時代とは異なり、3大欲求や安全が担保された状態の“原始時代”。

「次世代の原始時代」というニュアンスで、「高度原始時代」と名付けてみた。

どうなるかわからないが、そうであったとしても、「歴史は繰り返す」は真理であると思っている。

AI時代の行き付く先が「高度原始時代」であるとして、そこから、また人間は争いを始めて……という歴史を繰り返すのだろうか。たぶんそうなるんだろうな。

生まれて、いつか死ぬ。ひとりひとりの知識や経験はゼロから始まるから、いくら過去の書物などがあったとしても、人間は自身の経験からしか学ばない。だから同じ過ちを繰り返す。人間の運命である。

最後に、アジアン・カンフー・ジェネレーションの『新世紀のラブソング』の一節を引用して終わりにする。

「息を吸って 命を食べて 排泄するだけの猿じゃないと言えるかい?」

AI時代が幕を開けた。人間はどのような未来を歩むのだろうか?

それでは、また。

ABOUT ME
マヨなさ
キャンプ&登山が好きな40代2児の父。 振り返ってみれば、学びは体験と失敗によって得られたように思います。あなたの体験と失敗のお手伝いをさせて頂けるような情報発信をして行きます!