最近、「アナログ的」なモノ・コトに心惹かれている。

「アナログ的」って、例えば、文字を丁寧に手書きする、コーヒーをゆっくりハンドドリップで淹れる、レンズ・構図・設定を決めて写真を一眼レフカメラで撮る。みたいなこと。

意図したいところは手書き・手作りみたいな事であり、それをデジタル機器を使用して画像を撮ったりしているのだから、デジタルを否定するつもりは毛頭無く、デジタルとアナログを融合させるのが良いと思っている。

なので、この記事では「アナログ」ではなく「アナログ的」と表現している。

「アナログ的」の具体例

具体的には、X(旧Twitter)のアカウント「朝活書写」さんや「空想書写」さんの出してくれる「お題」を紙に丁寧に書いている。

万年筆、ボールペン、鉛筆など筆記具はその時々の気分で。

文字数にして多くて100文字。青空文庫より文学作品の一節を「お題」として日替わりで出してくれているのを、丁寧に書く。

これをやっていると、昔、祖母がよく写経をしていたのを思い出す。

祖母は習字の好きな人だったが、一人で習字教室に通うのが嫌だったと見え、兄も私も、今思えば祖母の趣味に付き合わされるような格好で習字教室に通わされていた。「孫が習字をやりたいと言うので、付き添うついでに私も習字を習います」みたいな(笑)

そのおかげで、「字がきれいですね」と時々言われる程度には字も上手になれたし、時々褒められたりもするので、私も字を書くことは好きである。祖母には感謝している。

文字を手書きすることの効能

無心が心を整える

さて、写経ではないのだけれど、「お題」を書くようになり気づいたのは、「丁寧に文字を書く」行為が、心を整えてくれることである。

家族の寝静まった後、一人リビングで万年筆を手に「お題」を書く。

ペン先が紙の上を走る音、かすかに漂ってくるインクの匂い。100文字に満たない文字数だけれど、丁寧に書くので5分、もっと時間がかかる。

文字を書くことだけに集中して無心になる。不思議とその時間が心地よいのである。

文字を間違えたり、下手な字を書くことも多いけれど、それはそれで良い。

文字を書く行為を通じて、心が整ってくる。インターネットで調べてみると、同じような方もいらっしゃるし、手書きで文字を書く行為は、何なら「マインドフルネス」のひとつみたいなことが出てくる。

日々のストレスや仕事の緊張などから、ほんのひと時「無」になって没頭するのはそういうものから自分を解放してくれる。

心のモヤモヤに実体を与える

具体的な内容はここには書けないが、ちょっとした日記のようなものをノートに書き始めたら、自分の考え、不安なこと、なぜそう思うのか?、これからどういう心持ちで過ごすのか?みたいなことを延々5ページに渡って書き散らかしていた(笑)

同じことを何回も書いたし、思いつくままに書く内容が出てこなくなるまで書き散らかしたことで気分がスッキリした〜みたいな事はない。

不安や悩みは解決することなく心の中にはまだあるのだけれど、心のモヤモヤに「紙の上の文字」という「実体」を与えたら考え方というか、持つべき心持ちを再確認し、思考が整理されたような感覚がある。

思い返すと、こういう場合は紙とペンで書くことが多い。タイピングでも良いのだろうが、私は手書きのものは見返すことがあるけれど、タイピングしたものを見返すことはあまり無い。

スピリチュアルなことを書くつもりは無かったんだけれど、何だかスピリチュアルになってきた(笑)。

だけれども、確かにそういう効果はあるよなぁと感じている。

手書きした文字は、全く同じ文字は二つとない。「Delete」キーで消去できない。コピー&ペーストもできない。不便極まりない訳だが、そこが手書きの良さであるし不便でよいのである。不便で手間がかかるから楽しい。同じものができないから面白い。

紙とペン、タブレット端末と電子ペンといった道具を使う楽しさも含めて「手書きの楽しさ」な側面もある。

便利な世の中ではあるが、「便利」であることが即ち「正しい」訳ではないのだから面白いし、人間は面倒臭いなぁと思う(笑)

新技術と普遍のシナジー

生成AIの登場により「個人ブログはおしまいだ」というトレンドであったが、だんだん棲み分けができ潮目が変わってきている気がしている。

AIに取って代わられるとして価値が薄れつつあった個人ブログが「読みもの」として価値が再評価されているように感じる。

「効率化」とか「正確性」とかをAIを駆使して追及する半面、「人間臭い」とか「ホッとできる」ものを人間は本能的に求めるのだろうなぁ。

「技術革新は人間の機能拡張である」と言われる。

人間に備わった能力では移動は徒歩になるが、「自動車」であったり「飛行機」という機能拡張により徒歩とは比較にならない移動能力を得たように、AIにより機能拡張が将来の人間にとって有益であることは間違いないと思う。(具体的な想像はつかないけれども……)

自動車でないと見えない景色もあるし、徒歩移動でなければ見逃してしまう景色もある。

優劣ではなく、どちらも大切であると考えたい。

そうこうしながら、だんだんと新しい技術に順応して、いつのまにか、それが「当たり前」になる。

例えば、スマートフォンがまさにそれだと思う。

新しい技術によって生活が豊かになるのであれば歓迎したい。

その反面、「老い」もあるのかな。手作りとか手書きとかそういったものを自分の手の届く範囲でチマチマやっているのが楽しいのだ。

「自分の手の届く範囲」の中での出来事を、SNSを通じて世界中に発信できる。

1人でチマチマ楽しんでいることを誰かと共有できる。自分以外にも同じようなことをやっている人がいることを知る。

私も、冒頭で触れた書写の画像をXでアップしている。

SNSでのやり取りは消極的だが、「いいね」をつけたりはするし、「いいね」を頂くこともある。反応があると、見ている人がいるんだなぁと少しうれしくなる。まさにデジタルとアナログの融合だと思う。

これからの展開

生成AIは新たな「人間の機能拡張」であり、私も必ずお世話になるものだと思う。

一方で「手書き」って人間が自分の手で書くから「手書き」なのであって、生成AIによって生み出されたものはどこまで行っても「手書き風」なのである。

その「真贋判定」の様なことにどれだけ意味があるかはさておき、「手書き」の良さをこのブログでも発信していけたらと思っている。

マヨなさブログは雑記ブログであり、「人生ブログ」にするべく、私の人生と共に続けて行くブログにしていきたいと思っている。

「手書き」は新たなブログテーマになるかもしれない。

どういう形でブログに活かしていくかは分からないが、後で振り返った時に何らかの形を持っていたらいいなぁ。

今後に乞うご期待!

それではまた。

ABOUT ME
マヨなさ
キャンプ&登山が好きな40代2児の父。 振り返ってみれば、学びは体験と失敗によって得られたように思います。あなたの体験と失敗のお手伝いをさせて頂けるような情報発信をして行きます!